邦文堂だより
令和4年4月号 丈六堂 身延山
令和4年3月号 富士川町制作「はんぶん」 「さくら」の映画監督 矢崎仁司氏
令和3年7月号 入兆青果 夢小路
令和3年6月号 市民いこいの里 甲府市
令和3年5月号 まちなみウォッチング旧三珠町
令和3年4月号 根津記念館 山梨と春 日本画大作展 日展特選受賞作家の二人 伊東正次 棚町宣弘
令和3年3月号 日蓮聖人の御生涯 降誕800年を記念して 身延山宝物館 久遠寺
令和3年2月号 「おもてなしのやまなし」 知事表彰 於・ベルクラシック
令和3年1月号 謹賀新年
令和2年12月号 邦文堂だより 「のむら清六」 【市川三郷生涯学習センター】
令和2年 邦文堂だより400号記念号
令和2年11月号 邦文堂だより 400号記念号 【日本の歴史・文化・伝統を誇る】 作家・江宮隆之
令和2年10月号 葡萄の季節 甲州・笛吹市編
令和2年9月号 グリーン・ゾーン認証 ホテル・鐘山苑「美健?献立」 河口湖編
令和2年8月号 コロナ過は? 北杜市編
令和2年 7月号 身延の「クラウドファンディング」 20%お得
令和2年 6月号 「市川三郷まちめぐりマップ」 大塚古墳
令和2年5月号 山梨県立青洲高校
令和2年4月号 市川三郷まちめぐりマップ 市川マップの会
令和2年3月号 IT導入補助金セミナー」 セキュリティプレゼンター 情報処理安全確保支援士 三田智先生
令和2年2月号 「海洋汚染は川から」 スペースふう 永井 寛子理事長
令和2年1月号 謹賀新年
令和1年号 能楽の世界
令和1年9月号褐K里・市川三郷町韓成皎社長
平成31年7月号「身延山という霊場」 身延山大学 望月真澄先生
平成31年6月号 「雨端硯本舗」 13代目雨宮弥兵衛
平成31年5月号 富士講・大我講 「大寄友右衛門」 講演会 大寄赳彦 先生
平成31年4月号 ゆるキャン効果 やまなし観光推進機構 武川 清志朗
平成31年3月号 能面に魅せられて 佐久間 二郎先生
平成31年2月号 2019邦文堂OAフェア 開催致しました。
平成31年1月号 『謹賀新年』 A HAPPY NEW YEAR2019
平成30年12月号 『旧二葉屋酒造』登録有形文化財Lionsクラブ国際協会・「Smile」誌に取材・掲載
平成30年11月号 『10月歌舞伎座』
平成30年10月号 第9回『だから、わたしはこのまちが好きです。』 山梨県立市川高等学校
平成30年9月号 マスカッテーン市使節団 welcome to Ichikawamisato
平成30年8月号 NHKドラマ・『満願』 旧二葉屋酒造
平成30年7月号 木喰の里を歩く 身延山大学・公開講座
平成30年6月号 『小澤征爾の父・小澤開作』 世界平和を夢見て…
平成30年5月号 『国際交流の大切さ』 イアン・ヒルマン(米国大使館))
平成30年4月号 平塩山由緒の縁起
平成30年3月号 智感版の『大般若経』
平成30年2月号 織田信長の天下構想 五味文彦先生
平成30年1月号 新年のご挨拶
平成29年12月号 運慶興福寺中金堂再建記念特別展
平成29年11月号 笛吹・薪能 観世流・梅若玄祥先生
平成29年10月号 第8回『だから、わたしはこのまちが好きです。』
平成29年9月号 五味文彦先生の歴史講座
平成29年8月号 透明でスベスベ・黄金の湯 秘境・梅が島温泉
平成29年7月号 教育の根本は愛・家庭教育
平成29年6月号 ジョン万次郎をNHK大河ドラマに
平成29年5月号 能楽の世界〜観世流・佐久間二郎先生〜
平成29年4月号 狂言・野村萬斎・ますほ
平成29年3月号 RICOH 交響楽団第61回演奏会
平成29年2月号 沼津市の深海魚水族館
平成29年1月号 新年のご挨拶
平成28年12月号 八代目中村芝翫襲名披露
平成28年11月号 「Japan wine competition」 2016日本ワインコンクール
平成28年度10月号第7回『だから、わたしはこのまちがすきです。』
平成28年9月号『AED』 救える命があります。
平成28年8月号RICOH 交響楽団第60回演奏会 シューベルト交響曲 第8番
平成28年7月号『世界遺産としての富士山の価値』 山梨県福祉保健部長市川満氏講演
平成28年6月号『第20回ミニバスケットボール大会 市川大門三珠ライオンズクラブ杯』
平成28年5月号 『日本家屋でフレンチを』
平成28年4月号 『旧二葉屋酒造 こけらおとし』
平成28年3月『身延山大学 創立20周年式典』
平成28年2月 『義肢・装具製作所 スズキブレース OPEN』
平成28年1月 『謹賀新年』 新年のご挨拶
平成27年12月 「旧二葉屋酒造」酒蔵改装
平成27年11月 統一奉仕デイ ライオンズクラブ国際協会
平成27年10月号 第6回『だから、わたしはこのまちがすきです。』
平成27年9月号 歌舞伎座 勘九郎、七之助の名演技
平成27年8月号 お手軽 善光寺・上高地散策
平成27年7月号 一般財団法人 ハウジング&コミュニティ財団 助成対象財団指定
平成27年6月号 晴耕雨読『旧二葉屋酒造』
平成27年5月号 『能楽・体験講座』 佐久間 二郎先生
平成27年4月号 ISO27001 情報セキュリティへの取り組み
平成27年3月号『常夜燈』 江戸の灯り 蘇る
平成27年2月号 『切り絵の世界』 鈴木賢二 氏
平成27年1月号 謹賀新年
平成26年12月号 金澤八景の称名寺
平成26年11月号 第5回「だから、私はこのまちが好きです。」町立市川小学校
平成26年10月号 「第6回まちづくりフォーラム」 五味文彦先生講演 市川マップの会
平成26年9月号 「ISMS/ISO27001」を取得して
平成26年8月号 しらいみちよ 東日本大震災チャリティーライブ
平成26年7月号 はくばく 長澤利久会長 講演
平成26年6月号 東京駅・周辺ガイドの巻
平成26年5月号 ISMS/ISO27001 認証取得
平成26年4月号 NHK交響楽団甲府講演・2014
平成26年3月号 富士山 五合目 お中道
平成26年2月号 国指定重要文化財 門西家
平成26年1月号 「謹賀新年」 A HAPPY NEW YEAR2014
平成25年12月号 『市川三郷に共に住むRe:Sharing Ichikawamisato』
平成25年11月号 第4回『だから、わたしはこのまちが好きです。』入賞者伊藤さんからのお手紙』
平成25年10月号 第4回『だから、わたしはこのまちが好きです。』
平成25年9月号 大門村、安政4年古地図
平成25年8月号 市川の花火
平成25年7月号 印傳屋 上原勇七会長講演
平成25年6月号 富士講 大寄友衛門
平成25年5月号 国文祭 五味文彦先生 講演
平成25年4月号 夢窓国師と平塩寺3
平成25年3月号 夢窓国師と平塩寺2
平成25年2月号 夢窓国師と平塩寺
平成25年1月号 謹賀新年
平成24年12月号 五重の塔と富士山
平成24年11月号 『インカ帝国展』 マチュピチュ発見100年
平成24年10月号 第3回 「だから、わたしはこのまちが好きです。」Photoコンテスト
平成24年9月号 イギリスの湖水地方の旅
平成24年8月号 『第300号記念座談会』
平成24年7月号 『祝・第300号発刊』 歴史作家 江宮隆之氏
平成24年6月号 第16回ミニバスケットボール大会 市川大門三珠ライオンズクラブ杯
平成24年5月号 『能楽・入門講座 花のみちしるべ』 シテ方 佐久間二郎先生
平成24年4月号 ドキュメンタリー映画 『きょうを守る』
平成24年3月号 「道〜白磁の人〜」 浅川巧 生誕120年記念映画試写会
平成24年2月号 The long journey has just began. 『はやぶさ』遥かなる帰還
平成24年1月号『謹賀新年 新年のご挨拶』
平成23年12月号『祖廟輪番給仕・身延山久遠寺』
平成23年11月号『蕎麦打ち教室 つくたべかん』
平成23年10月号『第2回 だから、私はこのまちがすきです。』
平成23年9月号 『マスカッテーン使節団』
平成23年8月号 『登録有形文化財』 旧二葉屋酒造
平成23年7月号 五味文彦先生
平成23年6月号 『白磁の人』 浅川巧の生き方
平成23年5月号 『能楽入門講座』
平成23年4月号 『二葉屋』
平成23年3月号 『一二神将・奈良 新薬師寺』
平成23年2月号 二葉屋で保存活動の一環
平成23年1月号 『新年のご挨拶』
平成22年12月号 『甲州財閥物語』 山梨中銀金融資料館・後援会
平成22年11月号 『帰敬式・おかみそり』 京都・東本願寺
平成22年10月号 『だから、私はこのまちがすきです。』フォトコンテスト
平成22年9月号 市川三郷町の年譜から その2
平成22年8月号 市川三郷町の年譜から その1
平成22年7月号 『県政の概要』 〜小沼副知事〜
平成22年6月号 NPO 山梨家並保存会のお陰で
平成22年5月号 依田孝の生家は酒造業
平成22年4月号 二葉屋を登録文化財に
平成22年3月号 新時代を読み取るキーワード
平成22年2月号 風さそう 花よりもなお我は
平成22.年1月号 新年のご挨拶
平成21年12月号 『十鐘山房印挙』 六郷印章資料館
平成21年11月号 『太々神楽』 四尾連湖子安神社
平成21年10月号 『水と緑を考える』 産学官シンポ
平成21年9月号 『夢窓国師 臨川寺』
平成21年8月号 『出張パソコン教室』開催中!
平成21年7月号 『これからどうする?』 山梨県立大学新学長 伊藤洋先生
平成21年6月号 暮らし易い古民家に
平成21年5月号 京都の夜桜
平成21年4月号 まぼろしの平塩寺A
平成21年3月号 中山 法華経寺 大荒行
平成21年2月号 まぼろしの平塩寺
平成21年1月号 平成21年 新年のご挨拶
平成20年12月号 高原会さまにおじゃましまーす!
平成20年11月号 第3回地域貢献表彰 甲府商工会議所
平成20年10月号 市川大門町並みウォッチングの脚本
平成20年9月号 鑑真展平成の大修理記念展 〜静岡県立美術館7/12〜8/31〜
平成20年8月号 鰍沢法人会 NPO 富士川・夢・未来 〜町並みウォッチングを市川で〜
平成20年7月号 「黄金の国 ジパング」 谷口一夫館長
平成20年6月号 中小企業大学・中小企業実習生
平成20年5月号 親父が教えてくれたこと
平成20年4月号 明日のライオンズを考える
平成20年3月号 「国際観光の新たなビジョン」 山梨県立大学国際観光特別講座
平成20年2月号 お詫び リコーリサイクル用紙のお詫びと対応について
平成19年12月号 つみきって楽しい「楽つみ木」
平成19年11月号 よみがえるか、甲府中心街
平成19年10月号 まぼろしの平塩寺
平成19年9月号 トヨタの未来者 「i-unit」
平成19年8月号 ハックルベリー・フィンの冒険
平成19年7月号 やっぱり本物はすごい
平成19年5月号 ひさびさのたまに行くなら、こんな店♪
平成19年4月号 躍動するカワセミの写真 廣瀬博
平成19年3月号 文化財は人間形成に活用
平成19年2月号 文化庁の江面先生の講演
平成19年1月号 2007年新年挨拶
平成18年9月号
平成18年7月号 清里の観光カリスマ 舩木 上次
平成18年6月号 清里フィールドバレエ
平成18年2月号 パソコンちょっと一言/山梨に夜間中学を
平成17年12月号 市川大門町町並ウォッチングパート・2
平成17年10月号 市川大門町中央部町並みウォッチングパート・1
平成17年6月号 「日本人の忘れ物」
平成17年5月号 ついに市川大門散歩マップパート2完成!
平成17年3月号 ライオンズ広報誌に「青洲文庫」渡辺青洲の里を紹介
平成17年1月号 梨大生の卒論に市川大門町の水路
平成16年9月号 浜名湖花博
平成16年8月号 おかげさまで創業100周年
平成16年7月号 小さな町の社会教育委員活動
平成16年5月号 自主活動団体にアンケートを (市川大門町社会福祉協議会)
平成16年4月号 子育て支援 峡南地区地域教育推進会議
平成15年10月号 花園院の開山は慈恵大僧正
平成15年8月号 徳川幕府の朱印状 薬王寺
平成15年6月号 板屋さんは、富士川舟運の問屋
平成15年5月号 上・塩屋 黒沢河岸 望月清上ヱ門
平成15年4月号 池川家は三代に渡り「目薬製造」
平成15年2月号 寛政年間のお蔵のお寺・福寿院
平成14年12月号 創業は安政の魚屋 「扇屋さん」
清里の「萌木の村」の舩木上次さんが 県立大学で講義をしました。 舩木さんのお父さんは、八十数年前、小河内ダムに沈んだ小菅村から清里に移り開拓した方だそうです。 開拓農業は、苦難の連続でしたが、困った時手を差し伸べ合う共同体だったそうです。最初の収穫の蕎麦は、実が三粒しかつかず、「線香そば」と呼ばれました。その三つぶの粒は、「一粒は来年の種に、一粒は自分で食べ、一粒は人様のもてなしに使へ」と、決めたそうです。今でもこの言葉は、大切に伝わっています。 戦後、清里に、ポールラッシュ博士が、草の根民主主義を根づかせ、豊かな生活ができるモデル事業を起こそうとします。山梨県から三百万平方メートルの土地を借りて、酪農の指導をされたそうです。 そして、舩木さんのお父さんも、ここの牧場頭で活躍されました。 その後、清里は、風光明媚の場所であり、外国風の建物も点在し、広い農場にジャージー牛がのんびり牧草を反芻している様子など、異国情緒があり、観光スポットになっていきます。その風景を愛する人たちがペンションを建て、移り住んできます。また、地元の方たちは民宿を始めます。どちらも素人経営ですが、ペンションの経営者は、コンサルタントの教育を受けてきます。 宿泊施設が飽和状態になると、地元の方たちの民宿が経営が成り立たず、清里を去って行くという残念な現象が起きます。そして、清里はミニ原宿のような感じを受けるようになり、若者の闊歩するところとなります。 舩木さんは、このような清里になる前、一九七二年に清里で初めての喫茶店ロックを始めます。まだ当時は、甲府にもないような木目の際立つ店内に、ロックやジャズが響き、しゃれた気分になれると、当時の若者に好評を博しました。その後、「萌木の村」を造り、オルゴール館を造り一躍脚光を浴びます。最近の舩木さんには、全国各地から講演の依頼が来て、全国の町づくりの方との接触があり、さらに多くのアイデアを持っていきます。この頃からドイツと清里の子どもとのホームスティを始めます。一九九〇年から、清里でフィールドバレエの公演を初め、二〇〇二年、ちいき経済賞「ふるさとスプリット賞」を受賞し、二〇〇三年、観光カリスマ(第二回)に選ばれました。本物指向で、エネルギッシュな舩木さんは、留まる気配はありません。清里が、どんな観光地になるのがいいのか、舩木さんの胸には青写真がありそうです。清里の明日が見落せません。 戻る |
清里フィールドバレエ 恒例の清里の「萌木の村」でフィールドバレエの公演の紹介です。 おやゆび姫・ くるみ割り人形 天上の詩 エメラルドシート 一万円 クローバルシート 五〇〇〇円 フリーシート 四五〇〇円 小人 二五〇〇円 前売券 四〇〇〇円 小人 二〇〇〇円 七月二十七日(木)から 八月九日(水) (八月二日休演) 開場 午後七時 開演 午後八時 清里高原 萌木の村 特設野外劇場 問合せ先 〇五五一ー四八ー三五二二 みさとSundayカフェ&ギャラリー 市川三郷の会では、毎週日曜日に、カフェ&ギャラリーを始めました。場所は、碑林公園の南の楽園葡萄酒です。市川三郷の会は、市川三郷町に住む芸術やものづくりをされているが中心になっています。去年の十一月に大盛況を博した市川三郷祭りの主催者で有名です。しっとりした気分を味わうのには最適です。 創業百周年の記念誌 ー市川大門散歩マップ2副読本 邦文堂の百周年を記念して、市川大門散歩マップパート2の副読本を作りましたが、山梨日日新聞に載ったため、問い合わせが多く、製本に追われています。お申し込まれれば、少し遅れますが、必ずお届けしますので、お待ちください。 戻る |
---|
パソコンちょっと一言 メモリーの話 最近パソコンの動作が遅くなったと感じたことはありませんか? 新しくウイルスソフトをインストールした、Windows XPをサービスパック2にバージョンアップしたなど….. メモリーを増設してみませんか?パソコンの処理量が増加した際、メモリー容量が少ない場合動作に時間がかかります。 メモリーとはパソコン内部に設置されている基盤のことで増設して処理量を上げることができます。 起動時に時間がかかる。処理中に止まってしまうなどストレスに感じるようでしたら、お手持ちのパソコンのメーカ型番など型番などお調べのうえ弊社担当営業まで連絡お願いします。 山梨に夜間中学を 十二月に、オアシスの山崎俊二さんの講演を聴く機会を得ました。 オアシスは、「外国人が、この国で困っている事があれば、手助けをしたい。」という福祉関係者、宗教者、市民活動者を中心に設立されたボランティアの山梨県内の組織だそうです。 活動は、労働関係のトラブルでの行政や司法関係の手伝い。医療や健康保険の問題。子どもの教育。日本語の教室。生活上の問題など、多岐にわたります。また、外国人の人権を守るため、フォーラム、講演会、相談会、法律の改正運動も行っているようです。山梨は、神奈川県や東京都等のいろんな団体等から支援を受けて、一九九二年に立ち上がったそうです。 講演では、山崎さんが、売春強要や、暴力などで身柄を拘束されている人の要請による救出劇や、外国人の相談の傾向の話をしてくれました。また、外国人の方とのたのしい交流風景などもありました。 今年になり、オアシスで、子ども会があるからと聞いて、十九日(木)にお邪魔しました。 お部屋は、家庭的な雰囲気で、カーペットが敷かれ、机と椅子がたくさん並んでいます。子どもは、明るく楽しそうに、ボランティアで来ている梨大生や都留文生に、マンツーマンで教えてもらっていました。十数人の子どもは、小学低学年から高校生まででした。高学年の子が、騒いでいるのを見て、山崎さんは、「今日は、子ども会だから勉強しなくてもしょうがないか。」と、ニコニコしていました。 山崎さんが勉強家のA君を紹介してくれました。山崎さんの話しでは、彼はがんばっているが、日本で学力を付けるのは難しいこと。問題はすべて日本語で、書かれているので、問題を解く前に、何についての質問かをまず読み、それを頭の中で母国語に直し、考え答えを導き、それを日本語に直すので、なかなか、高得点を取れないと教えてくれました。 人の思考していく行為は、言語で突き詰めてくので、一つの言語に精通していなければ、考えが深く及びません。 会話ができても、成績には直接結びつかないようです。そこで学習言語が大事になっていきます。できれば、母国語で学習できる学校が望まれますが、なかなか実現は難しいようです。山崎さんは、中国語、韓国語、スペイン語、ポルトガル語の四ヶ国語の授業があればいいと考えているようです。 また、子どもたちにも聞くと、今の県教育委員会のサポート体制は、日本語の教師一人が数校の学校を持ち、日本語を教えていますが、基本をマスターするまでで、それ以降はサポートできない制度のようでした。私は、その後様々な授業で分からないところなどの質問を受け付けるシステムが必要なことと、母国語が使える授業も少しでもあれば、子どもにとってリフレッシュできる大きな支えになるのではないかと感じました。 もうひとつ望まれるのは、夜間中学だと、山崎さんは話していました。今残念ながら、山梨にはありません。中学卒業は、就職、高校進学にとって、キーとなります。夜間中学のシステムでは、日本語のみの授業でも、学力はつくようです。この方法は実現の可能性が高いので、早く、山梨にも誕生すればと願っています。 ペルー人のスペイン語の通訳の方と知り合えました。勉強家で自慢の娘さんがいるそうですが、「娘はスペイン語が得意でないし、私も深く日本語が話せないので、三十から三十五パーセントぐらいしか分かり合えない。また、子どもに勉強を教えてやりたくても教えられない。」と、親としての悩みを話してくれました。山崎さんのお話では、必ず子どもが母国語を否定する時期があるのだと話していました。そして、学校の三者面談でも、子どもが先生の言葉を通訳することになるので、親が先生に子どものことについての悩みを尋ねることはできないようです。ほとんどの子が、自分で進路を決めるのが現実のようです。 ただいま、オアシスでは、会員を募集しています。 個人会員 年間 一二〇〇〇円 団体会員 一口 一〇〇〇〇円 賛助会員 一口 二〇〇〇〇円 甲府市愛宕町一四七ー二 電話 〇五五ー二五二ー一二四四 山梨外国人人権ネットワーク・オアシスメールアドレス yamanashi_oasis@yahoo.co.jp ホームページ: http://yamanashi-oasis.seesaa.net/ システム課リーダー保坂 宏紀 戻る |
市川大門町並みウオッチング パート2 十一月二十日(日)に八幡公民館主催の町並みウオッチングが、行なわれました。 九時三十分に八幡公民館に集合しました。二十名ほどの参加で、市川の中心部の一部を訪ね歩きました。 十月号続き青柳義人先生宅からガイドの要点をまとめて紹介します。 *青柳義人先生宅 二階建ての蔵座敷で、入り口の扉は今でも開け閉めできます。 大正十年頃の建物で、宝珠院の鐘楼を建築した大野大工さんが建てました。 建てられた当時は、呉服店でしたので、高価な反物を置いたり、客間として使われていました。 戦後、住まいとしたため、台所などを足されました。 外壁は、一瀬治三郎さんが、手の平で仕上げた名人芸で、鏡のようにつややかで、人の姿が映ったそうです。 ご長男が、昭和五十六年、卒論に市川のお蔵の調査をしたところ二百十九軒あり、各蔵について三十項目調べ上げました。 平成六年、私の調べで百八十二軒でした。 *市川教会 登録有形文化財 明治三十年の建物。叶屋、渡辺沢次郎氏が敷地と建築費を献納。会員有志の献金を加え建てられた。 お蔵を思わせる厚壁に、瓦葺。石積みの上に建てられています。市川幼稚園も大正十三年に造られた。 山梨のキリスト教伝道は、シーエス・イビーが伝道師で南部町に来たのが最初です。市川には、明治十五年村松義則氏(一丁目松田屋)宅で伝道集会が開かれたのが始まりです。 *丹頂堂印刷 市川一の美しい千本格子と謂われている木造二階建ての母屋の隣に二階建てのお蔵が続いています。大寄又左衛門氏が明治の初め頃に建てました。昭和十六年に製糸業が不振に陥り、丹波屋さんが買い取り、四丁目から移られました。 丹波屋さんは、古くから紙の販売を生業にしていた名家です。 千本格子は、厚いケヤキの板で支えられています。 大戸は一間あり、九十度の回転式です。中庭には水路が通っており防火を兼ねた池があり、かつては、この水路が台所にも通っていました。 *村松嘉世子宅 明治二十八年の建築。一階は木造、二階はお蔵造り。今では珍しい二間もある籠寄せの正面玄関は、結婚式の正客さんと、たな経をあげられるお坊さんと限られています。引き戸となっている大戸は現在も使える状態です。 庭に石造りの水路があります。 *福寿院 正和二年(一三一三) 寛政二年(一七九〇)に建てられました。梁間十一間、桁間六間四尺の平屋造り。雨戸の引戸も土壁が塗られています。廊下は、一間のケヤキ板。観音開きの大きな戸が東にあります。七間で、上段の間、角の間、本堂、本堂の続きの間、書院の間、広間が二つ。本堂の柱に菊の飾りがついています。千二百余年前は、平塩の岡の平塩寺の支院で、碑林公園の東側にあったようです。現在地には、貞和二年(一三四六)真言宗法印源秀僧正によって移られました。ご本尊は、毘沙門天。 東山天皇の弟にあたる伏見宮邦永親王直筆「高学山」「愛宕山大権現」の額二つ、大納言の藤原其時卿、其の子の基輔卿の位牌。坐光寺南屏の篆刻があります。境内に一七一六年の建築、地蔵堂があります。 しだれ桜は、夜桜が見れるようライトアップします。 戻る |
市川大門町中央部町並みウオッチング パート1 九月二十四日(土)に県の博物館に収蔵したゆかりの地を歩く、つなぐNPO「まちミュー」の主催で、第二弾の町並みウオッチングが、行なわれました。 十時に市川本町駅に集合しました。三十名ほどの参加で、午前中、市川の中心部の一部を訪ね歩き、午後より、碑林公園や平塩の岡の名所旧跡を訪ね、その後、増穂町の「酒蔵ギャラリー六斎」を訪れます。 市川マップの会では、午前中の中心部の案内を引き受け、「山梨の桜」で有名な村松正人さんが、ガイドをしました。 本町駅の構内で、市川マップの会の会長の一瀬茂さんが、歓迎の挨拶をし、村松さんが紹介され、ガイドが始まりました。 ガイドの要点をまとめて紹介します。 *保泉の道祖神 道祖神とは、さえのかみとも呼ばれ、地域の仲間の生活を守るため、道を守り、邪霊・悪鬼の類が立ち入らぬように置かれたもので、また、子孫繁栄のための願いもこめられているともいわれています。 現在 市川大門町には四十箇所以上あり、なかでも双体道祖神が多いところです。造立年月日が、刻まれたものが少なく、帯那の石原健造さん前の物が天明二年正月十四日(一七八二)で最古で、七丁目の円立寺の天明七年、五丁目出口十字路の文化五年(一八〇五)一丁目御崎神社前の文政八年(一八二五)等があります。この他に、自然石、角石等に道祖神と刻まれたもの、石祠・道祖神場もあります。(青柳寅男氏著他参考) *宝寿院 山門・・・・安永の頃寺に住んでいた源二という六部が数年托鉢した浄財で、寺へのお礼に天明の始めに建立したといいます。(廻木忠造氏著) 木喰観正の石碑・・・(木喰とは、雑穀類を火を通さず食す修行した僧の意。)文政二年に同院に入寺され、多くの病人や迷える人々を救い徳を施したそうです。町内に観正自筆の「南無阿弥陀仏」が保存されています。(廻木忠造氏著) 鐘楼・・・・明治時代に再建された。鐘は、享保五年(一七二〇)に甲府横澤住小田切佐次兵衛毘近・雨宮佐次右衛門規泰によって墓地の西方で鋳られ、郡中の善男善女が金銀を投げ入れたと言い伝えられていますが、他の所で鋳られたとの説もあります。(中倉茂氏著他) 夢窓国師によって造築されたという庭園・・・園内にコノテガシワ・アララギの二樹と共に町の指定文化財、天然記念物に指定(昭和四十八年)されている。 業計・・・・キリスト受難の図ともいわれた事がありましたが、今は、死後、生前の行いの業を計る図、「倒懸」の苦しみの絵といわれている。北野天満宮所蔵「北野天神縁起」や六道絵と称する絵の中にも出ているそうです。(青柳寅男氏著参考) 秋山家の電燈のある墓・・・秋山喜蔵氏に甲府電力鰍謔闔R梨初の芦川第一発電所を造った偉業を称えて永久に灯すために建てられた電燈。甲府電力鰍ェ東京電力になり現在、灯されていません。 *福金楼 登録有形文化財。 明治二十四年創業の老舗料亭。現在は、京料理、先代は鰻が有名。中線の場所より、昭和十一年(一九三六)身延線開通時に向け市川本町駅前である現在地に移転しました。グンゼ工場の設計者に設計を依頼。L字形の二階建。二つの大広間や赤白檀の床柱、釣鐘形にくり抜かれた壁に冨士山や帆立の小さな舟が細工されている障子の建具がはめ込まれており凝った造りです。 *市川陣屋 県史蹟指定 大正一三年 市川代官所跡。今は正門を残すのみ。門は、以前、前の道路を西に十数m、(古倉の通りの始まりになる)道をまたぐように建っていました。 明和元年代官の出張所となり、寛政年中に本陣となりました。代官の居間、手附、手代取締公事方(裁判)など堂々としたものでした。明治維新後、役所に変わり、土地の一部は学校や町役場で使用。昭和九年、小学校、役場が移転のちに宅地道路となりました。 *ひやを歩く ひやとは、左右に屋根がある、軒の下の狭い私道をいってますが。今木屋さんの大きなお倉があった「倉庫のひや」と呼ばれた広めの道の事もいわれています。日のささないひやっとする道が多いといえます。 次回は、青柳義人先生宅から紹介します。 戻る |
「日本人の忘れもの」 五木 寛之 氏講演 6月13日(月)山梨中央銀行講演会で五木寛之氏の「日本人が忘れたもの」 と題した講演を聴きました。日本人の忘れてしまった「愁い」をテーマに語られました。 「蓮如」「大河の一滴」「他力」「日本人のこころ」など代表作があり、1981年より 休筆、京都・龍谷大学において仏教史を学ぶ、1985年より執筆を再開し 現代、直木賞などの選考委員などを務められているそうです。 現在の病んでいる日本の時代を適確に捉え話し方にも気負いもなく 解り易い語り口の講演でした。 今の日本は、年間3万人の自殺者があり、非常に切ないことです。日本人の心のあり方を探る話でした。 「やって出来ないことはない。」という前に、前に出てゆく姿勢と、「萎える心」 どうにも自分の心を捉えて放さない、萎えて生気を失う姿勢がある。 健全だけでは無い、暗く心が萎えることが時として大切ではなかろうか、と話されました。 中国の唐の時代「暗愁」と言うことばがあり、愁いはいつも人の心の中に住み着いている。 その事を大切にして生きてゆく。と言うことだそうです。日本人も親鸞の「心萎え、号泣せよ。」と明言し、明治維新から大正時代、森鴎外・夏目漱石などの文化人が 宝のように大切に使って来た。 明治に富国強兵を唱え、明るさ・前向き・軽妙・力強さばかりで、「暗愁」は戦争・戦後と何処かに置き去りにし、失われてきた。一日には晴れた日も曇りの日もある、一日の内に幾度と無く人の心を「暗愁」が現れたり、引っ込んだりしているはずです。 その事を無視すると、大切な選択のときに進むべき道を誤ってしまう恐れがあります。 韓国にも「悒恨」ユウハンと言う言葉があり、感動の跡に裏寂しさがあり、その事を理解することが君子の感動の仕方である。「悒恨」ユウハンは韓国の国民的感情で津波のように繰り返し起こる困難をため息をついて乗り越える知恵であります。「恨晴」はんはれ、「トスカ」 憂鬱な愁い、魂の奥に「トスカ」に獲り付かれ人間は生まれながらにして、「フサギ虫・トスカ」を持っていて、その虫が、いつも心の中に住んでいる。現在の日本は愁いを忘れ、愁いを性悪説としてきた、悲しくなくことを女々しいと否定してきた。捉えて放さない「トスカ・フサギ虫」 の存在を、心の扉を開くことが大切です。「フサギ虫」を否定するのではなく、心萎えることを素直に受け入れ、巨大な「暗愁」に捉えたれても、自殺などの道を選ばず、生きる力拠りどころとして、自分をジット見つめる大切さを再認識する時である。と講演なされました。 子どもを含め、悲惨な事件が相次ぎ、日本人の心が「暗愁」に囲まれ、そのフサギ虫 真正面から立ち向かうことにより、忘れてしまった心の愁を見つめ直して行くことにより五木寛之氏が複雑な現代社会において、進むべき道を指示されました。 戻る |
ついに、市川大門散歩マップパート2完成!! 市川マップの会では3月に市川大門町や市川商工会の依頼を受け「市川大門散歩マップ」パート2を編集しました。B二判厚めの薄茶色の紙に黒と青の印刷です。B五判に折りたたんで、持ちやすいものになっています。 宝寿院の鐘楼が桜の花に囲まれた画が表紙になっています。有泉行尾さんの作品です。広げると表紙の下に御陣屋が描かれており、もともとあった場所の懐かしい情景の画です。中央には、市川の中央部の道の地図に名所旧跡、道祖神、代々受け継がれているお家、山梨大学の学生さんが平成14年8月に調べた水路が描かれています。その廻りを取り囲むように画が並べられています。上の段から宝寿院、花園院、福寿院、円立寺、右には、禅林寺、碑林公園、JR市川大門駅、JR市川本町、下の段には、近江屋さん、扇屋さん、清水屋さん、村松嘉代子邸、村松久次邸とあります。どれも、有泉行尾さんと、青柳好美さんがその場に行って描かれた、朝の日を浴びて描かれたようなすがすがしい作品が並べられています。 裏は、今村均さんが精密に描かれた作品で埋まっています。中央部にニ孝さんの屋上から南に180度見渡した、市川の家並みと、正体山や帯那峠、城山、万松山などの山波が描かれています。上の段は市川教会、丹頂堂印刷さん、川口屋さん、一瀬亮次邸、二葉屋さん、下の段には、風情ある市川大門の佇まいを含めて描かれた秋山亮邸、青柳義人邸、福金樓さんと線描が浮立つ見ごたえのある画が並んでいます。 今回のマップの編集や画を描くのに本格的に取り組んだのは、短期間でやらなければならない事情だっため、産みの苦しみを味わいました。特に絵を担当された有泉さん、今村さん、青柳さんは、寝る間を惜しんでの作業でした。 この度は、市川の中央部のマップをとの依頼でしたので、市川には、まだまだたくさんの名所旧跡があり、絞り込むことが大変な作業でした。いろいろ意見はあったのですが、依頼に添って吟味して選び、範囲を市川の中央部と限り、役場、碑林公園のみ加えることにしました。市川の良さが見た方に分かってもらうこと。また、町の方々や次世代を担う子どもが町に愛着をもってもらえるようにと願って作りました。市川大門町は、今年の10月に合併するわけですが、市川らしい風景を何時までも伝えるマップができたと思っています。 4月28日に市川大門散歩マップパート2の発行パーティーをしました。市川大門町長、マップに掲載された建物の持ち主、山梨大学大山先生ほか学生さん、市川マップの会に縁故のある方、メンバーなど四十名近くの参加でした。会長や来賓の方のあいさつや、マップのできるまでの経過報告が済み、山梨大学の学生さんの市川大門町の道についての考察を、スライドを中心に発表がありました。談笑後に、フォルクローレのプロ並の演奏があり盛り上がりました。10年ぶりのパート2のマップの完成を、関わりあった方々と祝える喜びが、胸にこみ上げてくる会でした。 |
|
||
|
|
||
|
|
||
|
|
||
|
小さな町の社会教育委員活動 | ||||||||||||||||||||||||||||
|
自主活動団体にアンケートを (市川社会福祉協議会) |
||
|
子育て支援 峡南地区地域教育推進会議 | ||
|
花園院の開山は慈恵大僧正 | ||
|
徳川幕府の朱印状 薬王寺 | 甲斐国三十三番観音霊場第一番札所 甲斐百八霊場第九五番札所 |
|
|
||
戻る |
板屋さんは、富士川舟運の問屋 | |
|
|
戻る |
上・塩屋 黒沢河岸 望月清右ヱ門 | |
|
|
池川家は三代に渡り「目薬製造」 | |
|
|
戻る |
寛政年間のお蔵のお寺・福寿院 | |
|
|
戻る |
創業は安政の魚屋 「扇屋さん」 | |
|
|
戻る |