清水屋さん
 
市川大門中線の中ほどのところです。
 江戸の終わりにあった『落合の大火』の後に建てられた、白壁になまこ壁の倉造りのお店です。看板も金枠でできています。
お倉は、二階建てで、入り口が、サッシになっています。店内の壁際のタバコケースに外国タバコも多く陳列されています。この住まい部分は、お倉に添ったおだれのように建てられているそうです。中庭を隔てて倉庫に当てているお倉もあります。屋敷は、六間X二十間と、間口に比べて奥が長い敷地です。
 お店のお倉の扉は、戦後になってから改装のため取り払われていましたが、戦時中は空襲警報が発令されると、その扉を閉めて避難していたそうです。また、階段箪笥などがはずされたり、住居の間取りなどは、何回となく改装されてはいますが、外形は変えず大切に受け継がれています。床の間の板は、厚いケヤキでよく磨きこまれています。壁は黒の塗り壁。その並びに二段の襖になっています。
掛け軸などの入れものに使用されていて、昔は、刀なども入っていたそうです。江戸時代の建物の特徴ではありますが、押入れが無く、収納は夜具戸棚のほうは、現在も使われていますが、衣類の収納は、昭和の始めに、壁にはまり込むように洋服ダンスや箪笥を特注したそうです。建具も格子戸や帯戸や障子ですが、ガラス戸に一部変えています。床下は石の上に柱が乗っていただけのものだそうです。
 清水屋さんは、当代で七代目だそうです。
代々、代官所の御用商人で、小間物を商っていたそうです。五代目にあたる栄太郎さん、履物や釣具、タバコを扱い、現在に至っています。
清水屋さん宅には、花火の作り方が、符丁で書かれているものがあるそうです。第八回ふるさと歴史展「甲州市川花火歴史」市川大門町教育委員会出版の本によりますと
市川の花火大会は元禄・享保頃が始まりとされています。市川の紙の発展に尽くした甚左衛門を祭った神明祭に花火や相撲が奉納されたとあります。江戸時代は、各家に伝わる花火の製造があり、お祭りの時に、各丁の山車が町内を練り歩き、山車の上から煙火を打ち上げ、下にてはお囃子、歌舞伎等が行われたようです。三代目の丹澤富右ヱ門さんの名が、「五丁目の山車」(嘉永八歳乙卯七月吉日)や総桐玉入箪笥(安政六歳七月吉日)に、玉光連の一人として書かれています。また、昼花火は番傘や生きた鳩などを掲げて驚かしたとあります。