市川大門中線のほぼ中央に位置します。
創業は安政の頃で、魚の卸業をしていたのですが、ご当代から小売業に転換しました。
建物は昭和5年に建てられた木造の二階建てです。売り場と厨房と半分になっています。自宅は、北方向の道沿いに白い漆喰の壁で下側がなまこ壁になっている建物です。十五年ほど前に、土壁になっていたのを改築したそうです。三部屋になっており東側はいくつもの全面ガラス戸があり、採光がよく暮らしやすく工夫されています。中庭に、百五十年前ほどに造られたお倉があります。屋根には二つガラスの窓が取られ、半分は吹き抜けになっており、二階はご主人が油絵のアトリエに使っています。一階は板の間で、囲炉裏がきられています。その並びに車長持ちを利用したテーブルが置かれています。長持ちには延宝六年九月吉日(約三百二十年前)と書かれてありました。
市川の夏のお祭りの口火を切るのが、金毘羅さんですが、この金毘羅さんを祭ったのは、扇屋さんです。金毘羅さんは海の神様の縁ということで、四国の金毘羅詣でを熱心にしていた信者だそうです。『明治三十二年甲心講社二十三名』という幟旗が残されています。
市川にある金毘羅さんは、扇屋さんの親戚の山で、急な坂道を登った富士川の見えるところにあります。何時の建立かは不明ですが、自分の庭で神社の木取りしてものを信者の皆さんで運んだそうです。平成十二年に雨漏りがひどく、ご主人が立て替えたそうです。天井画はご自身が描かれ、牡丹・ハイビスカス・波に鶴・鳳凰の四枚を奉納されたそうです。金毘羅さんのご神体は、今は祠ですが、その以前は、その奥にある石だったようだと話されていました。神主さんが、石の近くから寛永通宝を拾ったと話されていたそうです。 |
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