一瀬亮次さん宅
 
 市川大門の中線の三丁目の所です。
大正時代の建築で八十年経っています。右に鉄の門があり、前庭を歩くと、平屋の木造の建物で玄関があり、奥に京間サイズの十畳間が二つ続いています。その隣に『お店』と呼んでいる屋根の高い二階建が続いています。
その隣に、『お店』と呼んでいる屋根の高い二階建てが続いています。壁は厚い漆喰造りです。一階は、四間とお勝手があり、天井が高く格天井です。板戸や千本格子の戸で仕切られていて、二階にのぼる階段や踊り場などが、けやきで見事な飴色に磨きこまれています。
 平屋の欄間は来城方岳さんの作を本絵に、竹と松が彫ってありますが、四隅に、木蓮のような大きな葉が細工され、漆塗りになっていて、黒と茶色のコントラストがみごとです。床柱と框が黒壇で、違い棚がけやきの厚い板で出来ており、重厚さを加えています。書院窓の上は、富士山のシルエットが彫られ、下は、細かい細工の格子に、クモリガラスが張られていて、引き戸になっていまして、所々に金が覗いています。
 隣に御座敷の四枚の襖は、緑雲さんの書が張られています。強弱のある力のこもった書で素晴らしいものです。緑雲さんは浪人で市川に来られ、塾を開いた方で、明治天皇の御蠒を書かれた方です。奥座敷を囲む渡り廊下は、つなぎの無い長い桧です。奥座敷の南側に、渡り廊下を通ってお風呂場があり、その裏に、トイレがあります。お風呂場の屋根の曲線は、見事な造りになっていて、瓦も母屋と同じ別誂えで焼かれました。樋や軒の一部は銅版でおおわれ、緑青が色を添えています。母屋の表通りの千本格子や二階の欄干なども、すべて銅で囲われていたのが、戦争中に供出したそうです。千本格子の間隔が少し離れているのは、銅貼りの名残です。