市川大門の中線の六丁目のところです。
明治三十年の建物で、叶屋、渡辺沢次郎氏が敷地と建築費を献納し、会員有志の献金を加え建てられました。現在は登録有形文化財となっています。
お蔵を思わせる厚壁に、瓦葺で、石積みの上に建てられています。市川幼稚園も大正十三年に建てられました。
山梨のキリスト教伝道は、シーエス・イビーが伝道師として南部町に来たのが最初です。市川には、明治十五年に村松義則氏(一丁目松田屋)宅で伝道集会が開かれたのが始まりです。
市川大門の南線、七丁目の所です。
明治三七年、明治の元勲、山形有朋が娘の結婚を祝って建てた建物を、戦後、山梨県の寮になっていたのを払い下げられたのを買い、市川に移築しました。
車寄せは、瓦の張り具合い、木や漆喰の壁、銅製の雨どいと威風堂々としています。玄関は、表玄関と裏玄関の二つがあります。土間には石臼が埋め込まれています玄関の間は5畳、隣の書生の間は、覗き窓が二方についていて、現在は茶室になっています。左隣は内玄関の間で、その隣が一間の広さの長い廊下です。西より、応接間、二階への階段、六畳、十畳間へと続き、奥に、書斎と座敷、台所があります。二階に四部屋あります。応接間の扉は観音開きで、天井は菱形を中央にした格天井です階段の支柱は細工があり、階段の角は面取りをしています。一階と二階の梁は、四間半の長さで同じ太さのものです。二階のお座敷の底柱は黒壇で、漆塗りの床です。東側にも螺旋階段があり、一階の南側の廊下には半分に畳が敷いて供待ちというそうです。ここにある座敷は十畳と六畳間で、床柱はヤシで床は漆塗りです。
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