宝寿院 

市川本町駅隣の踏切を渡った先です。
 時刻を告げる鐘としだれ桜で有名です。天平7年(735)僧行基により開かれ、法相宗から天台宗、天平年間に真言宗に改宗しました。平塩寺の一支寺です。
 山門は、安永の頃寺に住んでいた源二という六部が数年托鉢した浄財で、寺へのお礼に天明の始めに建立したと伝わっています。
木喰観正の石碑(気喰とは、雑穀類を火を通さず食す修行した僧の意。)文政2年に同院に入院され、多くの病人や迷える人々を救い徳を施したそうです。町内に観正自筆の「南無阿弥陀仏」が保存されています。
 鐘楼は、明治時代に再建され、鐘は、享保5年(1720)に甲府横澤住小田切佐次兵衛昆近・雨宮佐次右衛門規泰によって墓地の西方で鋳られ、郡中の善男善女が金銀を投げ入れたと言い伝えられていますが、他の所で鋳られたとの説もあります。
 夢窓国師によって造築されたという庭園は、園内にコノテガシワ・アララギの二樹と共に町の指定文化財、天然記念物に指定(昭和48年)されています。
 業計は、キリスト受難の図ともいわれた時がありましたが、今は、死後、生前の行いの業を計る図、「倒懸」の苦しみの絵といわれています。北野天満宮所蔵「北野天神縁起」や六道絵と称する絵の中にも出ているそうです。
 秋山家のお墓にある電燈は、甲府電力鰍ェ秋山喜蔵氏により山梨初の芦川第一発電所を造った偉業を称えて、永久に灯すために建てられた電燈です。第2次大戦中、灯火管制にしたがって、灯されなくなりました。