市川大門中線の6丁目を南に入る所です。
言い成り地蔵さんの前にあるお倉に住まわれている。
こうべ書房さんの角の路地を十mほど行くと左側にあります。けやきのあがりかまちがあり、四段の扉が重々しく左右に開いて、下山梨半分だけがくもり硝子の格子戸で仕切られていますので、大正十年頃に宝寿院の鐘突き堂を作ったという大野大工さんが建てたそうです。建てた当時は、市川一の倉屋敷と言われ、このお蔵を住まいにするので、台所などを増築し、南側の壁の一部を抜いて引き戸にし、風通しをよくしています。窓は建具をいれ、内側を見せるだけでは、お倉造りとは思えません。一階はは十畳二間にお勝手などの部屋があり、二階も十畳二間として広々としています。床の間は広くとられていて、大きな厚いけやきの一枚板で、いい飴色に磨きこまれています。左官さんは一瀬三郎さんで、手のひらで仕上げた名人芸で、下側の壁の黒い部分は鏡のようで人の姿が映ったそうです。
長男の方が、卒論に、市川のお倉の調査をした資料をみせてもらいましたが、昭和五十六年の調査で、二百九十件あったお倉の市川の町の分布図と、一つ一つのお倉を三十項目について調べられ、土蔵造りの発達した歴史的背景の考察もあり貴重なものです。このお蔵で育たれたかただからこそのものだと思いました。市川の路地を歩くといくつものお蔵を目にします。これが市川の町並みの特徴なのかもしれません。こちらのお宅には二つお蔵があり、一つは江戸の終わりあった落合の大火にも残ったという古いお倉があります。
|
|