市川大門の中線の七丁目の所です。
大きな木の門をくぐって、石畳の道をいきますと、平屋のお建物があります。
御当主の秋山先生が、『この家は、天保六年(一八三五年)市川の大半が焼けた「落合の大火」で焼失後に建てたものです。もとは古いのですが、改造しているので、文化財としてあまり価値がないのです。それで建て替えようと思っています。』と説明してくださいました。
離れは明治の建物で、二間続きで、天井が高く三方が廻り廊下で囲われ、ガラス戸が巡らされた立派なものです。庭が広く南東に大きな米蔵、北西に文書蔵があります。代々市川の町の指導者としての人材を送り出した家柄なので、時代の流れに応じて、手を入れ改装されるのは当然のこと、その足跡も歴史に残される価値があるのではないかと感じました。
秋山先生は喜蔵様の足跡を残そうと、「山梨電気こと始め」という本も出版されました。電気の始まり、秋山家のこと、江戸時代の市川のこまごました事件なども記述され歴史的にも価値ある書物です。この他に、つげの木とピアノで一八五二年製の響板か鉄製のものがあります。
(取材は平成六年三月。現在は母屋は建て替えられています。)
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